体のこと、あれこれ

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  • 2020年10月15日

    先月8日に「昆虫食」を取り上げたが、昆虫食の世界は意外な程に奥深く、単に○○の昆虫は食べることができて、こんな味がして思いのほか美味しいのだそうだ、などという紹介だけで終わらせてしまうのはもったいないので、本の紹介とともにもう少し触れてみたいと思う。

    先月は日本や世界で食されている昆虫の一例と、健康食としても昆虫の一部を紹介した。

    しかし、昆虫食を広めようと奮闘されている方はどのような角度から昆虫食を捉えておられるのだろうか。

    昨今は各地で昆虫食の試食会が催されているようだが、そこに参加する動機を調べてみると、純粋に昆虫食の美味しさに惹かれ、昆虫食を極めたいという人のほかに、昆虫食の珍奇性に興味を持ち、イベント的な感覚で参加される方が多いようだ。

    確かに、先月お伝えしたような世界的な食糧事情の観点から将来的な必要性は高いのだろうが、そう言われても正直なところ、この飽食の環境の中においてなかなかピンと来ないというのが本音だった。

    また、栄養素的に見て、昆虫食がいかに高栄養だといっても、ほかの食材と比べてずば抜けて高いということではなく、「比べても遜色ない」レベルであることから、あえて昆虫食を選ぶ必要性も、これまたこの飽食の環境の中においてなかなか感じにくいと言わざるを得ない。

    実際、昆虫食を試そうとも思わない理由の中にもこれらは見られる。

    ほかのもので十分に栄養が取れる中で、なぜあえて昆虫を食べなければならないのかと。
    もちろん、

    〇牛や豚よりも小規模の土地で育てられる。

    〇牛肉1キロ生産するのに8キロの飼料が必要だが、昆虫1キロには2キロの飼料で済む。

    〇家畜に比べて温室効果ガスの排出量も少ない。

    など養殖に際し、環境への負荷が非常に小さいという昆虫食ならではの積極的なメリットもある。

    しかし、個人的に本書を読んで一番感心させられたところは、内山氏が提唱する「食育教材としての昆虫」というところである。
    近年よく聞かれるようになった「食育」という言葉であるが、明治30年頃に漢方医の石塚左玄という人が

    「体育知育才育は即ち食育なり」

    と使ったことが始まりだという。

    その言葉が最近になって復活したのは、食のグローバル化、ファストフード化によって起こった様々な問題がきっかけだったそうだ。

    カロリーや糖分が高く、ビタミンやミネラルなどほかの栄養素を含まない食品、いわゆるジャンクフードが巷に溢れてきた。

    若者たちに肥満が増え、生活習慣病予備軍が増大した。

    考えてみれば、レストランのメニューにカロリー表示はあっても、栄養表示はなかなか無い。

    そんな中で2005年に食育基本法が制定され、将来にわたって健康で文化的な国民の生活と、活力ある社会の形成のために食育プログラムをおこなっていくこととなったのである。
    小学生の課題で、魚の絵を書こうとしたらスーパーの切り身を書いた、という笑うに笑えないエピソードは有名である。

    そもそも「食」というものは「命をいただくこと」という基本を見失っていると内山氏は言う。

    話は少々ずれるが、日本の捕鯨は今もって世界から非難の的となっている。

    韓国の犬食も結構な問題となったこともある。

    また、鯨や犬に限らず動物全般を食べないベジタリアンやヴィーガンという人達もいる。

    この手の話題になる時、いつも思うのが「植物、野菜だって命でしょ」ということ。

    本当に山内氏の言うとおり、私たち人間は、というより、地球上の殆どの生物が他者の命を食することで命を育むことができるのだ。

    肉を食べようが食べまいが、命をいただいて生きているのは変わりないのである。

    ベジタリアンという主義が他者から何を言われる筋合いがないように、鯨食、犬食という文化が他者から何かを言われる筋合いというものは全くないと自分は思う。

    まあ、感覚としては自分も犬食を「うわっ」とも思うし、食いたいとは全く思わないが・・・。
    話を戻そう。

    内山氏が言うには、現在スーパーで売られている肉や魚の切り身では「命」をなかなか感じにくいという。

    その点、昆虫は生きていた姿そのままを食することが多く、そこに自分たちが生きていけることの意味を見出しやすいという。

    長野県のある小学校で食育の一環で昆虫食の試みが行われた。

    昆虫は牛や豚に比べて感情移入しにくいので食材として利用しやすいそうだ。

    また、未知の食べ物だから調理して食べても、必ずしも美味しく食べられるとは限らない。

    市販の食品は「美味しい」一辺倒であるが、食育としてあえて「まずさ」を経験することにも意味が有ると内山氏は言う。

    そして安全な食べ物であるかどうかを自分の五感で感じ取ることも重要な経験であると。

    市販の食品のように「消費期限」や「賞味期限」に頼ってばかりいると、「消費期限」を1分でもすぎれば廃棄してしまうとか、中には「消費」と「賞味」を混同して「賞味期限」を過ぎただけで廃棄するなどというバカバカしいエピソードも生まれることになる。
    生きるために食する。

    他者の命をいただく。

    自らの五感で食材の安全性を確かめる。

    「美味い」一辺倒が食ではない。

    なるほど、確かに食の基本に立ち返り、食の基本を確認する、という意味では昆虫食は最適なのかも知れない。

    本書「昆虫食入門」では世界の昆虫を食べる社会と食べない社会にはどのような違いがあるのかについて、昆虫を食べる心理とその関心の多様性について、等々についても非常に深く書かれている。

    我々が忌み嫌う「ゴキブリ」という語感。

    実はこれ「御器被り(ゴキカブリ)」から来てるそうな。

    江戸時代に御器(蓋付き椀のこと)に頭を入れている姿からつけられたという。

    そんなゴキブリの「汚い」「怖い」というイメージも人間によって付けられたものだが、世界では堂々と食べられている食材である。

    何が本当に人間にとって害虫であるのか。

    きちんとした見極めが必要なようである。

    いきなりゴキブリはなかなかハードルが高いが、機会さえあれば、イナゴ、コウロギあたりから是非とも食してみたいものである。

  • 2020年9月23日

    太陽を凝視する。

    そのようなことでどんな健康的な効果が得られるというのか。

    見るからに眉唾のような健康法である。

    まさに「信じるか信じないかはあなた次第」の世界だ。

    これを読んであなたはどんな感想を持つだろうか。
    太陽凝視については、2018年1月25日の「ブレサリアン~気食主義者」(https://ameblo.jp/helpjiritusinkei/entry-12347291673.html?frm=theme)の中で少しだけ触れてきた。

    ブレサリアンとは物を食べずに生き続ける人のことである。

    もっと正確に言うと、呼吸(ブレス)だけで生き、和訳では気食主義者のこと。

    ブレサリアンになるにはベジタリアン⇒フルータリアン⇒リキッダリアンという段階が必要で、その段階を経てもなお、体質の変化ができずに餓死したケースもあると言われているほど難しい変体だという。

    俳優の榎本孝明氏が2015年に30日間の不食生活をしたことが当時大きな話題にもなった。

    ちなみに、絶食も断食も不食も、「食べない」という点では同じだが、絶食や断食は健康回復や精神修行などを目的とし、食欲との戦いが伴うもの。

    一方不食はそもそも食べる必要がない状態に体が変化しているので、食欲との戦いは一切ないという。

    不食やブレサリアンに関しては上記の記事をお読みいただくか、ネットで検索してみてほしい。
    https://matome.naver.jp/odai/2139377953147453501?&page=1
    そんなブレサリアンが体質改善途中でよく行っているというのが「太陽凝視」である。

    太陽を凝視する=太陽を食べる行為とも言われている。

    方法はいたって簡単。

    紫外線レベルが最低である日の出か、日の入りの1時間ほどの間に行う。

    初日は10秒間だけ太陽を凝視する。

    以降、毎日10秒ずつ凝視時間を増やしていく。

    加えて、足が直接地面に触れるよう、裸足で行うのだとか。

    これらのルールを守ることで安全に実践できると太陽凝視を指導する専門家は言っている。
    その効能は、精神的な緊張がほぐれ、3ヶ月ほどで怒り、恐れ、嫉妬、欲望などのマイナス思考が消え、絶対的な自信と世の中で一番大切なものを感じとる霊的認識を持つようになるとされている。

    3~6ヶ月で病気が治り始め、7ヶ月半ほどで食欲が次第に消えて行き、9ヶ月で全く無くなるとのこと。

    そして脳がまるで充電されたかのような感覚の異変が起きるという。

    この時点で最長44分の太陽凝視を行う状態になっている。
    病気が治る根拠としてはカラーセラピーの考え方が反映されているようである。

    太陽光には様々な色の波長が含まれており、海が青く見えるのも青い波長だけが吸収されないためである。

    色と身体との関連は東洋医学でも古くから言われており、また、近年は皮膚自体に色を識別する能力があるという研究結果もある。

    カラーセラピストは肝臓病には緑色が不足し、腎臓病には赤色が不足、心臓病には黄色が不足していると考えるとか。

    それら色の波長を長期間、積極的に取り込むことで不調部分の変化をもたらすと考えられている。

    9ヶ月時点で一旦太陽凝視を止め、1日に45分間の裸足での散歩を行う。

    足の五本指は、それぞれ親指は松果腺に、第二指は下垂体に、第三指は視床下部に、第四指は視床に、第五指は扁桃体という脳の各々の分泌線につながっており、裸足で歩くことで各分泌線を刺激し、活性化させるというのである。

    東洋医学でも足の指から始まる経絡は頭位まで続いているので、地球のわずかな電磁波を素足で直接受け止め、その影響が脳にまで達するという考えはある程度の説得力を持つ。

    しかし、それぞれ指が各々の内分泌腺につながっているとした根拠は調べた中では不明である。

    どのような研究結果をもとに、そのような各指と内分泌腺との関連を導き出したのかは分からない。

    太陽を凝視することの意味は脳内の「松果体」の活性化だと言われている。

    松果体とは脳の中心部で、ちょうど目の真裏ぐらいのところにある小さな内分泌器官である。

    上記のとおりだとすると親指とつながっているらしい。

    概日リズム、いわゆる体内時計を調節するホルモン、メラトニンを分泌することで知られている。

    現在のところ、メラトニンの作用は生体リズムの調節の他は抗酸化作用、性腺抑制作用、色素細胞の対する退色作用が確認されているのみで、上記のような効能は発見されていない。

    しかし、現時点で「効能が発見されていない」ということと「効能は無い」ということは同じではない。

    実際、時を経てこれまで確認されてこなかった体の器官の新たな役割が明らかになるということもある。

    松果体が網膜への光によって刺激を受けること自体は現時点でも確認されており、長期間に渡る凝視が松果体に何らかの影響を与える可能性は大いにありうるだろう。
    「脳へ光を届ける」という意味では、2016年5月18日に書いた「耳の光療法」(https://ameblo.jp/helpjiritusinkei/entry-12161480893.html?frm=theme)に通じるものがある。

    これは耳の穴の中を光で照らすことで、北欧などでよく見られる「季節性のうつ病」など多くの病が改善されるというものである。

    脳内には光を感受する物質であるオプシンが集中的に存在するところが18箇所もあることが判明したのである。

    「耳の光療法」は脳科学でも証明されているし、気功の世界では印堂という眉間の真ん中にあるツボはチャクラとして光を感じるところとされている。

    太陽凝視が刺激するという松果体は、脊椎動物がまだ水中に生息していた頃にまで遡れば、頭頂眼と源を一にする器官だという。

    その頃は現在の両目に相当する外側眼と、頭上部に位置する頭頂眼があり、皮膚を透かして外界を感知していたと考えられている。

    その後、徐々に皮膚の透明度が失われ、強固な橈骨が発達したことで、外側眼は体表面へ移動し、現在の両目となり、頭頂眼は退化し、現在の松果体になったという。

    現在でもヤツメウナギ類やカナヘビなどにこの頭頂眼はあるという。

    上段の印堂というところは「第三の目」と言われるところでもあり、ヨーガでは松果体との関連が深いところとされている。

    いかがであろうか。

    まあ、突っ込もうと思えばいくつも突っ込みどころはある。

    単に朝早く起きることで、生活リズムが整い、自然に触れることでリラックス効果が生まれ、必然的に精神が安定化して健康体になるだけではないのか。

    また、食べずに生きられるなど科学的にありえないだとか。

    しかし、皮膚が色を感知するとか、耳の中に光を当てるだけで多くの病気が治るとかいうことも、一昔前ならば懐疑的に見られていたことだろう。

    「現在の科学ではまだ解明されていないからといって、それがありえないことだとは言えない」というスタンスこそが真の科学的な物の見方であると思う。

    もしブレサリアンが実在するのだとしたら、彼らが実践する太陽凝視も意味のあることとして研究する価値はあると思う。

    ただ問題なのは、常夏の地域でもない限り、9ヶ月以上もの長期にわたり、ほぼ毎日太陽を凝視し続けるということは不可能であるということ。

    また、紫外線の低い時間帯にやるとは言っても、それだけ長期にわたり凝視し続けて本当に害はないのかという点も。

    定期的な検査をすることで安全性を確認しながら実践できると思うが、常夏で、眼科の検査が受けられる地域であることが求められるだろう。

    さて、そんな実験を誰かやってはくれないだろうか?

    えっ?

    自分がやれって?

    食べる楽しみがなくなるじゃないですか!

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