体のこと、あれこれ

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  • 2018年10月13日

    血の涙を流す。
    そんなことは漫画の世界だけの話だと思っていた。
    しかし、現実にそんな病気があるそうだ。
    ドミニカ共和国のデフィナ・セデーノさん(22才)は2009年頃から泣くと血の涙が流れるようになったという。
    血は涙だけでなく、汗となって流れ、爪やへそからも染み出てきたとのこと。
    鼻血も出て、髪が抜けるようにもなったとも。
    ある時は15日間も出血が続いたために、大量の血液が失われ、輸血が必要にもなった。
    しかし、いろいろ調べても原因が分からなかった。
    彼女はショックで恐ろしくなった。
    訴えても周囲から理解されず、引きこもりになって、学校も中退してしまったという。
    医者も目の前でその現象を見て、初めて信じたそうだ。
    友人らは伝染病を恐れ離れていってしまい、子供たちからは容赦ない罵声を浴びたりもした。
    そんな生活の中、絶望に駆られて鎮静剤の大量摂取で自殺を図ったこともあった。
    幸いにも家族に発見され、一時は心肺停止状態にもなったが、どうにか蘇生された。
    それから4年の歳月を経て、彼女は確定診断を受けることができた。
    彼女は血汗症だったのである。
    これはアドレナリンの値が通常の20倍とかなり高く、不安に駆られると血圧がひどく高くなり、血液が汗として体外へ吹き出してしまう病気である。
    メカニズムはまだよく分かっていないが、文献によれば汗腺を取り囲む血管が、極度の不安やストレスにさらされると収縮して狭くなったり、破裂寸前まで膨張したりするそうで、
    その際に何らかの原因で血液が汗腺に流れ込み、それが汗と一緒に皮膚の表面に出ていくのではないかという。
    先天的な血液凝固異常ではないかというイギリスの専門家もいる。
    なんとレオナルド・ダ・ヴィンチの医学文献にも戦場に向かう戦士や突然の死刑宣告を受けた人々が血の汗をかいたとの記述が残されているそうだ。
    また、聖書にもイエスがゲッセマネの花園で裏切られ、磔刑になる自分の運命を予見して苦悩した時に血汗症の症状がみられたと記されているとか。
    まれではあるけれども古くからそういった現象は確認されていたようだ。
    もし、血の汗は流れず、涙としてだけ流れる場合は「ヘモラクリア」という疾患の可能性もあるという。
    これは涙管部に腫瘍が発生し、それが原因で目から血のような色の涙が流れ出るといわれる症状である。
    普通の涙と血が混ざりあったもので、別説ではバクテリアによる結膜炎などによって引き起こされるとも言われている。
    ある人の調べでは世界で血汗症は80例程しか確認されていないのだとか。
    自分もネット検索で調べてみたが、具体的な疫学調査がなされた日本語の報告は見つけられなかった。
    それも圧倒的に西洋人が多く、アジアでの症例は中国やインドで数例が確認されたのみということである。
    ちなみに、馬にも血汗症があるそうなのだが、こちらの方は原因がはっきりしている。
    それはパラフィリアという名の寄生虫が血管の中に入り込むことによって起きる病気。
    パラフィリアは特に夏場に皮膚の表面に集まってきて、皮膚を食い破って外に出る。
    その際に出血がみられ、それが汗のように見えることで血汗症と呼ばれているとのこと。
    昔、中国には汗血馬という馬が存在していたという。
    その名の通り、血のような汗を流して走る馬で、一日に千里走ると言われていたそうだ。
    実は血汗症にかかった馬は血管や細胞組織の壊死による痛みが激しく、その痛みに耐えきれず走り続けるそうで、休むことなく長距離を走ったというのである。
    汗血馬は、実は血汗症にかかった馬だったのではないか、と言われているそうな。
    人間の場合は激しい痛みを伴わないし、細胞組織の壊死も起こさないので、少なくとも寄生虫によるものでないことだけは明らかである。
    血の涙や汗を流す病気。
    常識ではありえない症状に、本人や周囲の人々はどれほど恐怖に苛まれただろうか。
    知識の蓄積がないと、常識から逸脱する現象は極めて恐ろしく、時にオカルト的な見方をしてしまいがちである。
    インチキ現象は論外だが、
    「今の科学ではまだ解明できないとしても、起きている現象には何らかの現実的な原因がある」
    という見方が最も科学的な見方なのだと改めて教えてくれる疾患である。
  • 2018年9月28日

    戦争から戻った兵士のPTSD。
    幼少時のトラウマ。
    事故の記憶。
    消し去ることができたら、どれだけ生きやすくなる記憶の多いことか。
    そんな思いを抱えた人にとって、「記憶を消すこと」は切実な願いだろう。
    世の中には自分の都合の悪いことは「記憶にない」人がたくさんいるので、どうすればそんなに簡単に記憶を消せるのか、苦しむ彼らに教えてやってほしいものである。
    冗談はさておいて、調べてみると意外にも多くの「記憶を消す方法」が研究段階のものも含めて提唱されているようである。
    ○レーザー照射というSFチックな方法
    これはカリフォルニア大学での研究。
    記憶とは脳の神経線維のつながりがどんどん形成されることで蓄積していく。
    そのつながりを特定の周波数の光学レーザーを用いて強めたり、弱めたりすることで記憶を消し去ったり、思い出させたりすることができるというのである。
    実験はまだマウス段階で、脳に直接照射するやり方で行われている。
    脳の特定の神経にレーザー光線を当て、刺激を加えると同時に足へ電気刺激を流す。
    それを繰り返すと、脳の神経にレーザー光線を当てるだけで恐怖を示すようになる。
    これがいわゆる「トラウマ」が形成された状態だろう。
    その後、今度は足への電気刺激がない状態で別の低い周波数のレーザー光線を同じ神経に当てる。
    すると、先に形成された恐怖はなくなるというのである。
    記憶が上書きされたのである。
    上書きされた神経に、以前の周波数のレーザー光線を当てても恐怖の記憶はよみがえらないそうである。
    しかし、このマウスに高電圧ショックを与えると、恐怖の記憶がよみがえり、最初の周波数のレーザー光線を神経に当てると、足に電気刺激がなくても再び恐怖がよみがえるのだとか。
    外部からの骨や皮膚を介した状態でも、特定の神経のつながりの形成を左右しうる刺激を見つけることができれば記憶の消去など簡単にできるのかもしれない。
    「まさにSF!」
    と言いたくなるような技術ではあるが、まだまだ不安定なようでもある。

     

    ○古い映画にでてくるような電気刺激による方法

    こちらはオランダのラドバウド大学で行われている実験。
    重度のうつ病患者の思い出したくない嫌な記憶の消し去りに成功したという。
    前頭部の皮膚上に電極を当て、通電することで人為的にけいれん発作を起こすのだとか。
    もともと統合失調症に対する治療として考案されたものとのこと。
    42名の重度のうつ病患者に自動車事故と暴行の写真を見てもらう。
    しばらくしてから一枚の写真について思い出してもらう。
    その思い出した瞬間に電気ショックを与える。
    1日経ってから2枚の写真について質問をすると、電気ショックを受けた写真は思い出せなかったが、そうでない写真については明確に答えることができたとのこと。
    これは、
    「記憶は利用されるたびに脳の回路に再び書き込まれる」
    とされており、その再固定化の過程にある時に破壊されやすくなると考えられているそうだ。
    一枚の写真を想起しようとしたタイミングで電気ショックが与えられたことにより、脳の回路への書き込みが邪魔され、破壊されたということのようである。

    その効果の持続性や古い記憶にも効果があるのかどうかはまだ分かっていないそうである。

    ○薬を使った怪しげな方法
    これはアメリカ・ヴァージニア州・コモンウェルス大学の研究。
    薬を使うと聞くとどうも怪しげな雰囲気を感じてしまうが、極めてまじめな実験のようである。
    それは多発性硬化症という病気の治療で使われる「フィンゴリモド」という薬をマウスに与えると、肉体的苦痛にまつわるいやな体験を完全に忘れてしまうというもの。
    市場ではジレニアという商品名で出ており、免疫システムを抑制することで多発性硬化症の症状を軽減させているという。
    その薬を、軽い電気ショックを与えられ、恐怖で固まって動けなくなってしまったマウスに与えると、すぐに動き回ることができるようになったというのである。
    研究者らはPTSDや不安障害の補助薬としての利用を検討しているという。
    薬による方法では、ハーバード大学やカナダのマギル大学では心臓病疾患に使用される薬による方法が実験されている。
    これはトラウマによる心拍数上昇に苦しむ患者に対し、原因となった出来事を思い出しているときに薬を服用してもらうと、一週間で症状の軽減が見られたそうである。

    この報告を見る限り、出来事そのものを忘れるというよりは、それを想起しても体が反応しなくなるので、その記憶が「悪い記憶」ではなくなるということなのかもしれない。

    ○心理学に基づく方法
    いうなればこれが最も現実的な消去法となるだろうか。
    いやな記憶を思い出す際、それを想起させる歌や音、においや景色といったものがある場合、いやな記憶と結びついているそれらを別のものと結びつけることで意図的に忘れることができるという。
    ダートマス大学とプリンストン大学で行われた実験は、被検者に森林や山、海岸など屋外風景を見せながら、無作為に様々な単語のリストを見せる。
    それら一つ一つについて、それぞれ「忘れる」か「覚える」か指示する。
    すると、「忘れる」と指示された単語のときに見ていた風景に関する神経活動も追い出されることがMRIの測定で分かったという。
    つまり、これは母親について考えたくない時は、母親の料理についても頭から追い出されてしまうようなものなのだそうだ。
    このMRI画像上での追い出し現象の活発さから記憶した単語の数も予測できたという。
    この忘却の原理を利用すると、例えばつらい失恋の記憶とそれを想起させる歌などがある時、その歌をジムで運動しながら聞くなど、全く違った環境で聞くことで、その歌は運動の爽快感と結びついたものに変わるというものである。
    なお、もっと自分自身と向き合うことでいやな記憶と対峙してみたいと考えられる方は以下のサイトを参考にしてみるのもいいかもしれない。
    https://matome.naver.jp/odai/2138571604164949101
    「記憶をなくす」ことは、心の平穏を取り戻すには有効だが、失敗から教訓を学ぶためには無くしてはならない苦い思い出もあるのもまた事実である。
    戦地で心ならずも犯してしまった非人間的な行為のためにPTSDを発症してしまったとして、その記憶がなくなれば本人は生きやすくはなるかもしれない。
    しかし、本人以上に喜ぶのは兵士を戦地へ送り込みたい人々である。
    PTSDに苦しむ兵士の姿も反戦運動につながる要因の一つとなっているからだ。
    そして、記憶はなくなっても行為そのものは残る。
    もしその行為によって傷ついた相手があったとしたら、相手の傷の修復なしに、本当の解決にはなりえない。
    自分の犯した罪を償おうとしたとき、そこにはやはり悔恨の思いがなければならない。
    つまり記憶をなくしてはならないのである。
    同じ戦場でのPTSDでも、死への恐怖で受けた傷は取り除くべきかもしれない。
    上記同様、戦地へ兵士を送り込みたい人々にとって利するものではあるが、兵士自身に罪はないのだから。
    また、「他人の記憶をなくす」ことで悪用される可能性もある。
    いずれ、「記憶をなくす」ことについては技術的な問題よりも、倫理的な、道徳的な問題が多く含まれているようである。
    辛い記憶は本当になくした方がいいのだろうか?。
    もし、なくしたほうが良いのなら、どこまでが許されるのだろうか?
    どんな記憶ならなくすことを許されるのだろうか?
    ちなみに、巧みな誘導者にかかると、自分が犯してもいない犯罪の記憶を植え付けられることもあるとか。
    人の記憶とは自分で思っている以上に曖昧なものだとはよく聞くが、これほど曖昧なものだからこそ、自白の強要が可能なのかもしれない。
    特殊な環境の中で責め立てられ、なんとなくそんな気になり、ついやってもいないことを自白してしまう。
    そんなことが現実にあるのかもしれない。

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